8月15日、第二次世界大戦終戦から今年で74年が経った。
今一度戦争で命を落とした祖父の兄を想い戦争について考えてみようと思う。
陸軍大尉 昭和二十年七月二十六日 孫呉 戦病死 行年 二十一歳
祖父の家に大事に飾ってある勲六等端宝章にはそう記してある。
端宝賞は「国家又ハ公共ニ対シ積年ノ功労アル者」に天皇より授与される勲章だそうだ。
昭和二十年は西暦1945年。7月26日というと終戦まで本当にあと少しだった。
孫呉は満州北部ソ連との国境にある県だ。
祖父が亡くなった十日後ソ連が日ソ不可侵条約を破棄し侵攻してきた場所としても知られている。
第二次世界大戦において、日本人の戦没者数は310万人、その中で、軍人軍属の戦没数は230万人とされている。その過半数は実は戦死ではなく戦病死だったと言われている。その戦病死とは食糧不足による不完全飢餓で栄養失調のために体力を消耗して病気に対する抵抗力をなくし、マラリア、アメーバ赤痢、デング熱などにかかり死に至るというケースだ。
祖父の兄もそういったケースで命を落としてしまったと考えられる。
二十一歳と記してあるが、祖父の年齢を考えると実際には二十五歳くらいだったらしい。
もし戦争があと20日ほど早く終わっていたら彼は助かっていたかもしれない。
結婚もまだしておらずこれからの未来があるはずだった。
一家の長男だった彼の死を悲しみ、祖父の母は程なくして他界したそうだ。
戦争以前に既に父を失くし、稼ぎ頭である長男、そして母を失くした祖父と二人の兄弟がその後直面した困難は想像を絶する。
それでも戦中・戦後の激動の時代を生き延びた祖父がいるから今の自分がいる。
もし戦争があと20日ほど遅く終わっていたら待機していた祖父も戦地に赴くことになっていたかもしれない。
つまり自分はこの世に生まれなかった可能性があったということだ。
これは考えてみると恐ろしいことだ。
戦争はたくさんの人が死ぬ。
そして死んだ本人だけではなくその家族・恋人・親戚・友達もとてつもなく悲しい思いをする。
人一人の命がなくなるということはそういうことなのだ。
単純に○○人が死亡という統計だけでは表せないほどの人々の涙と悲しみがその裏にあるということを忘れてはいけない。
広島の原爆で家族丸ごと消えてしまった話を記事で読んだ。
今まであった当たり前の生活がある日一瞬にしてかき消されてしまう。
何よりも重要なのが、これが日本に限った話ではないということ。
先の大戦により世界中でこういった悲劇が起きたということだ。
日本国内では原爆がクローズアップされがちで日本は戦争の被害者であるという見方もある。
しかし日本は加害者として多くの国を侵略し、多くの人々の命・暮らしを奪ったということを決して忘れてはならない。
我々日本国民は国の犯した過ちを正し、反省し、次世代に伝えていく義務がある。
「お国のために」「天皇陛下万歳」と多くの若者が命を落とした。
祖父の兄もその一人であった。
しかし果たして国のために国民が犠牲になることがあって良いのだろうか?
私は今の時代どうもそれが正しいこととは思えない。
国あっての国民ではなく国民があってこその国だと私は思うからだ。
それがその国の政治的利害関係のせいで自国民に犠牲を強いるのはどうも納得できない。
つまり「お国のために死ね」というのは自分からすれば理にかなっていないということだ。
結局戦争というのは勝てばその国の上層部は得をするかもしれないないが、勝っても負けても損をするのは国民だ。
申し訳ないが、もし今日本が戦争に参加し徴兵制で日本のために戦うか?と聞かれたら「はい!日本や天皇のために命を捧げます」などという気はさらさらない。
むしろ自分の命のため尻尾を巻いて逃げさせてもらうというのが正直なところだ。
何故ならば、国よりも自分の命の方がよっぽど大事だからだ。
こんなことを言うと非国民だと言われるかもしれない。
もちろん一日本国民として日本に対する愛国心もある。
美しく繊細な日本の文化が好きだし、四季が織りなす自然の変化も愛おしい。
そして祖父の兄や他310万の英霊たちの死があるからこそ、今の日本があると信じている。
しかし未来あった祖父の兄の命がたかが勲章程度で語れるはずがないし、そんなもの程度で語られて欲しくない。
それがいくら天皇からの勲章だろうがそんなことは関係ない。
国が戦死者を讃えて勲章を授与しそれで「はいおしまい」と思ったら大きな間違いだ。
人の命に変えられるものなどないからだ。
時代は変わった。
国としての概念、一国民としての意識は間違いなく70年前より希薄になっている。
インターネットにより未知の領域への恐怖は限りなく無くなり、世界における人々の距離は縮まった。
リソースを求め取り合う弱肉強食の世界から思いやりを持って助け合う世界へ
国境や人種を超えて同じ地球に住む地球人として共存する方向へ
そこへ向かっていると信じたいし、そうでなければいけない。
理想主義かもしれないが、助け合わずして人類に未来はないと信じている。
戦争は絶対に起こしてはいけない。
戦争の恐ろしさを身近に聞いているからこそ伝えたい。
だからこそ自分は生きたい。
祖父の兄の死のためにも自分に与えられた生に対して一生懸命に生きたい。
国のためではなく、自分のために、そして家族のために。
それが若くして命を落とさなければならなかった祖父の兄に対する感謝の伝え方だと私は思う。
今も彼の魂は靖国で静かに眠っている。
彼らは今の日本を見てどう思うだろうか。
令和元年 終戦記念日に寄せて
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