アメリカで車に轢かれた件

振り返った時にはもう遅かった…

次の瞬間、俺は地面にうずくまっていた。

道路に散らばるサングラスやバックパック

一瞬何が起こったか分からず、朦朧とただあの車が過ぎ去って行くのを見るしかなかった。

少ししてから一気に左足に痛みが込み上げてきた。

ここまでか。俺の留学生活も。

アスファルトの上は絶望しかなかった…

(この記事にはグロテクスな写真は一切ございません)

はい!どーもお久しぶりの〜??モーくんですっ。

もう何人かの皆さんはお気づきでしょうが、先日車に轢かれました。笑

はい、普通に痛いですよ。笑

事件が起きたのはクラスが終わって学校の駐車場までの道路

僕はスケートボードに乗りながらクラスメイトと話しながら帰っていました。

歩道が工事中だったので自転車レーン歩いていました。

ふと左後方に車がスーッと接近してくるのがわかりました。

ここまでははっきりと覚えているのですが、その後は正直何が起こったかわかりません。

反射的にすぐさま右に避けましたが、車はそのまま自分のスケートボードと左足を巻き込んで行った感じです。

幸いスピードもそこまで出ていなかったようで全身は避けることができましたが、左足は間に合いませんでした。普通の感覚だと「車が避けるだろう」という状況でしたが、運転手曰く全く気付いていなかったようです。なのでそのまま普通に轢かれたということです。運転手がしっかり見てさえいればこんな事故は簡単に防げたでしょう。

車はかなり走ってから止まりました。ガチでひき逃げされたかと思いました。そしてゆっくり運転手が出てきたと思えば、この運転手(ギルバート)がまた変な奴で「大丈夫?」の一言も言わないわ、自分の携帯も使えないわ、近くの病院も知らないわの無能ぶり。彼の家族もなぜか全員揃って車にいましたが、黙って窓からこっちを見ていました。人間的にクソみたいな連中に轢かれたと情けなくなってきました。

結局、友達が警察やら何やら呼んでくれました。しまいには消防車まで来てなぜか消防士に応急手当てをしてもらいました。アメリカで救急車を呼ぶと200万かかるという逸話があるように、僕はひたすらお金がかかることだけはしないでくれと願っていました。笑

彼らは救急車で病院に行くかどうか聞いてきましたが、即答でNO。ギルバートに連れて行ってもらうことになりました。もちろんこいつかなりの無能なので、自分が病院までGoogle Mapで案内する始末。注意力散漫、運転もド下手。しまいには病院のエントランスまで間違えやがって、(こっちは痛みで苦しんでんのにちんたらしやがって)このボケナスがこんな交通事故を起こした理由がよくわかりました。

そしてこのギルバート、相当面倒臭かったのか俺が診断を受けている最中に帰りやがりました。消えればいいのに。

車椅子で誰も押す人がいないまま病院で待つってこんなに辛いことなんだとその時初めて知りました。

結局CTもとった結果、骨に異常はなく、左足首の打撲・捻挫とのこと。

その瞬間、日本への強制送還の可能性が消え、心からホッとしました。笑

とりあえず今は痛み止めを取りつつテーピングでグルグル巻きで松葉杖で学校に行ってます。

松葉杖、いやこんなに大変なんですね。。。坂とか気温40度の中登るのはなかなかしんどいです。

たださえ夏学期3クラス取ってる中、就活もしないといけないのに、これから医療費だ、慰謝料だ、何やらかんやら面倒臭いイベントが発生してくると思うと腸が煮えくり返るような思いです。

ここまでの怪我は留学生活5年で初めて。

心の底からあの無能に神の制裁が降るようお祈りしたいところですが、まあ彼が不幸になったところで俺がすぐに歩けるようになる訳でもないので、彼にはもう2度と人を轢くような運転はしないよう用心して欲しいと願うばかりです。

まあ不幸中の幸い、骨折せずに済んだのでよしとします。

これも人生の中の試練。不自由なことは多いけど絶対乗り越える!

気持ちで自分に負けないように頑張ります。

モーくん。

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この記事を書いた人

当ブログを運営しているモーくん(27)です!
大学4年で一年停学し、22歳でアメリカへ留学。後に大学を中退し、アメリカの大学で一年生からやりおなし、26歳でようやく卒業。
現在はロサンゼルスの日系企業でOPTとして働いてます。
趣味は旅。アメリカ一周走破・世界10カ国制覇。

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