ここではスノボ旅行で学生同士熱く語った夜のディスカッションの内容をまとめていきたいと思います。
注:複雑で難しい内容のため、あくまでモーくん自身の意見、またはモーくんが聞いた意見となっておりますことをご了承ください。
トピックは
- 人類の過去と未来
人類の過去と未来については、今まで人類が生きることで破壊してきた地球をこれからもとどおりにすることは可能かどうか。モーくんは修復はできても元どおりは不可能と考えます。都合の良いように技術でどんどん楽をしている人間。技術をこのまま進化させまくって環境問題に取り組むのか、他の惑星に移住するのかなどなど。わかったのは人類の罪は大きい。後戻りできないから破滅に向かうだけ。人類はどこへ進んで行くのか?どうするべきなのか?非常に深いです笑
- 宗教とイデオロギーの違い
話は儒教についての話題に。あるアメリカ人が儒教も宗教の一つだよねと言ったところ中国人の彼は猛反発。彼がいうには「宗教とイデオロギーの違いはPracticeがあるかないかで儒教はキリスト教やイスラム教のように教会に行ってお祈りをしたりする習慣はないため宗教ではない。」ということでした。モーくんは知らなかったのですが、なんとなくイメージでは儒教は宗教というよりも考え方という感じがしますね。
- 「誰もないない森の中で木が倒れたら音はするのか?」
「音は聞く人によって初めて発生する」から「誰も音を認識する人がいない」ならば「音」は聞こえない。というのがモーくんが同調する東洋的な認識論。ちょっと待て!とそこで反論したのはなんと中国人学生「人間(中国)は世界の中心だからそこに聞く人いなくても音は発生しているでしょ。」というのが彼の意見。中国王朝は宇宙の中心であるという中華思想(中国中心主義)”China is the cultural center of the world.”という概念ですね。中国ではあまり世界のことを気にしないといったようなことも言っていました。なるほど、中国が世界の中心なら確かにきにする必要もなさそうですね。これはすごい概念だw(日本ではまだ使われている南蛮という語源もこの中華思想四夷からきています)
認識論でも東洋の二元論(無、空の概念)、西洋の一元論(自我の概念)で分けれるほど単純ではないですね。非常に興味深い。「その瞬間に生きること」を教えとする世界で人気がある日本の禅 ZENの考え方にも、無意識にモーくん自身影響受けていたのかもしれません。こういう哲学の話は高校の時に習いましたね。あの時は「なんだこんなことどっちでも良いじゃないか」と思っていたけど、今ならその必要性がわかるような気がする。世界各国それぞれの国、地域がこういう概念を持っているわけで、こういった概念を完全に理解しなくても知識として頭に入れとくのは国際交流する上で良い助けになるかもしれません。
モーくんは日本が誇る禅 ZENの概念ですらしっかり心得ていないので、もっと勉強して知識を身に付けたいなと思いました。
- 資本主義の破綻
最後は、資本主義はすでに破綻しているのではないか?という議題。経済学の理論では需要と供給が等しい時、市場は正常に機能するということになっています。あくまで平均をとって考えた時の話です。しかしこの世の中では富の格差がものすごい開き方をしてます。なぜか?それはビルゲイツやマークザッカーバーグに代表される大富豪8人、世界人口の1%が他の99%と同じだけの資産を保有しているからです。そして弱肉強食の資本主義は富を持つものに更に有利に働くシステムです。
もちろん資本主義は、その人に能力があれば稼げるし、その人が稼げないのならば、その人に責任があるという考え方です。もともと不平等なシステムなのです。しかし格差が増えることは資本主義にとって良いことではありません。行きすぎた富裕層への資本の集中は、他の資本を吸い寄せ、中間層を貧困層に脱落させ、消費は減り、雇用は減り、少子化に繋がります。もう吸い取る資本がない行き場がなくなった経済は破綻します。というのが今危惧されている現代資本主義の問題点です。
貧困は犯罪やテロリズムを生む要因とも言われています。かと言ってみんなで稼いだお金を平等に分配する共産主義も機能しないことは先のソ連崩壊で誰しもがわかっていることです。
ならば一体どうすれば良いのか!?
共産主義でもなく、資本主義に変わる別の経済システムが必要です。そもそももはや移行自体不可能なのかもしれません。もし移行が可能であれば、それは「富」よりも「幸せ」に重点を置くシステムになるのではないかと考えます。みんなが「幸せ」になれる世界。素晴らしいと思いませんか?
Gross National Happiness, GNH(国民総幸福量)という考え方があります。例えばブータンでは人口の多くが貧困層にも関わらず97%が「自分は幸せ」であると回答しています。何故ならば彼らは「経済的豊かさ」よりも「精神的豊かさ」を重んじるからです。一日三食食べることができ、寝る場所があって着るものがあって、家族と一緒に当たり前の生活ができるのならばそれは幸せではないか?という考え方です。そのブータンが国を挙げて提唱するのはGDPでもGNPでもなくGNHです。そのGNH、日本はブータン(8位)よりも経済的には裕福であるのにも関わらずなんと90位(アメリカは23位)。そのブータンでさえ近年その「幸せ」の定義が揺らいできていると言われている。近代化の波が押し寄せ、格差は開き、伝統的な生活よりもテクノロジーで労働にかかる負担を軽減したい。そう思う若者が増えているそうです。日本でもアメリカでもブータンでも「幸せ」の定義は人それぞれ。周りに流されず自分にとっての「幸せ」は何なのかを見つける必要がありそうです。
みんなが「幸せ」になれる世界。
理想主義者のように聞こえるかもしれませんが、モーくんはそれが究極の理想だと思います。
皆さんはどう考えますか?
モーくん。
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