先日IHOPに行った時に、二年前のあの日、アメリカに来た最初の夜にここに来たことを思い出した。
アメリカにきてから早二年が経っていた。
2015年3月26日午後10時、雨のシアトル空港にモーくんは降り立った。
あえてクラスが始まる一週間前に現地入りしたのには理由があった。二週間のメキシコで培ったバックパッカーの野生の勘が残っていたモーくんは留学生活を始める前に少しでもシアトルの情報を集めておく必要があったのだ。
現在モーくんがリーダーとして働く新入生のオリエンテーションを企画運営するInternational Studenr Progarm, Welcome Teamでは、空港でSTAFFが新入生をホストまで安全に誘導するサービスを行なっているが、現地入り直後の夜を空港近くのボロMOTELで過ごす輩は未だに見たことがない。そんな奴が現れたら職場は大騒ぎになるにだろう。
MOTELから無料シャトルバスを手配しておいたモーくんだったが、いつまで待ってもバスは来なかった。仕方なくシャトル専用の無料公衆電話でMOTELにバスをよこすように言ったが、伝わったのかどうかもわからず何回もかけた。暗闇の下ひたすら待った。あの時ほど孤独で時間の流れが遅かったことは今では考えられない。
バスがやっと来て空港からMOTELにたどり着いた時にはすでに深夜になっていた。モーくんはとてつもなく腹が減っていた。フロントのオススメを聞き、最初に行った晩飯はボロMOTELから少し南下したPacific Hyway沿いのIHOP。暗い道路脇を歩いてたどり着いたIHOPの暖かいネオンに安心したのをよく覚えている。深夜ということもあってか客はほとんどおらず、レストランの入り口には強面の警察官が夜間警戒にあたっていた。案内されたのは一番奥の二人がけの小さな席。何を食べたかは覚えてないが、これから始まる冒険に不安と期待が入り混じったなんとも言えない感情だった。
次の夜からの一週間はダウンタウンにあるドミトリーにベースを移し、古い知り合いのTGにも助けてもらいながらシアトルを観光。その後の三ヶ月は語学スクールのKAPLAN。そしてその後の今日までの一年半はHighline College。
恐ろしい早さで時間が過ぎていった。
正直ここ数ヶ月は辛い毎日が続いた。難しさを増すクラス、Welcome Teamのリーダーとしての責任とプレッシャー、Highline Snowboarding Clubのイベント企画、去年から始めたインターンシップで忙しい日々に追われるだけでなく、Universityへの編入やアメリカで就職することも視野に入れた将来への不安、「既定路線」から離脱した自分に向けられる日本国民からの冷たい視線、体力的そして精神的に弱ってきているのが分かった。
自分は何をしてきて、何を学んできただろう?
一番奥のあの二人がけの席に座ってみた。
二年間の毎日が走馬灯のように蘇ってきた。
ボランティアから始めてオフィシャルのスタッフとして雇われてからアシスタント、そしてリーダーにまで登りつめたWelcome Team、ゼロの状態から立ち上げ2シーズン連続で計80人以上をスノボーに連れて行ったHighline Snowboarding Club、クラウンさんから誘われて入ったSeattleの学生団体SIJPなどなど様々なコミュニティ、イベント、ボランティアに積極的に参加し、学校の奨学金も数回受賞、アメリカの不動産会社City Closers Real Estateでのインターシップも始めて半年になる。
多様性重視のここシアトルで生活する中で様々な人たちと関わり、人種、性別、宗教そして政治に対する自分の考え方も大きく変わった。
二年前のあの日、二人席で一人で夜飯を食べてた自分も、今ではレストランの全席を貸し切っても足りないほどのたくさんの国際色豊かな友達に恵まれた。
毎日を全力で駆け抜けて来たこの二年間。
失敗もたくさんあったけど自分の人生においてかけがえのない経験になったことは間違いないし、これからの人生でこの二年間は必ず生きてくると確信している。
だから他人と比べずに自分らしく後悔しないように今を全力で生きることが大事だなって本当に思う。
最後に笑って死ねるかは自分次第。
そんなことを考えていたら、すでにアメリカ生活三年目に突入していたのであった。笑
さあこれからどんな冒険が待っているんだろうか。
シアトルの桜は満開だ。
モーくん。
[…] 二年前のあの日 […]