こんばんは。モーくんです。
みなさん、いきなりですが、「幸せ」ってなんだと思いますか?
この質問って簡単なようでめちゃくちゃ難しいですよね。
果たして「幸せ」とは一体…?
少し話が逸れますが、実は私モーくんは酉年生まれで今年は年男そして厄年。昨年の夏に日本に一時帰国した際に前厄に行ったのですが、その時に川崎大師の陽気なお坊さんが説法で問いかけてきたのがこの質問でした。そしてそのお坊さんが言った答えは息をのむほど「その通り」でまさに金言でした。
そもそもなぜ「幸せ」が何かを知る必要があるのか?それは簡単です。幸せというものが何かを知っていれば、幸せになるための道しるべになりますよね。また幸せが何かを知っていれば「不幸せ」を避ける手がかりにもなります。
一般的に幸せとは…
楽しいこと、嬉しいこと、人に必要とされること、人を助けること、人に助けられること、仕事で成功すること、お金持ちになること、愛する人と家庭を育むこと…などなど
人によってそれぞれだと思います。これをあの陽気なお坊さんは一言にまとめて言いました。
「幸せとは、自分の思い通りになることである。」
おおお!なるほど!!!って鳥肌立ちませんでしたか?モーくんは今でもこれを聞いた時に、鳥肌が立ったのを覚えています。スッキリボール2億個くらい投げたい気分でした(古いかw)。そしていつかどこかでこれをもっとたくさんの人にシェアしたいなとも思いました。自分の思い通りになることかあ!最初に出した一般的に考えうる幸せの例は全て、人の欲望が達成されることで共通していて、それが達成されることで人は幸福を得るということですね。モーくんは欲は持つべきものだと思いますが、「欲を捨てなさい、さもすれば幸せになれるでしょう。」というのが仏教の考え方ですよね。Wow! It’s make sence!
話が逸れました、それでは「不幸せ」はもう何か想像つきますね?
「不幸せとは、自分の思い通りにならないことである。」
なるほど!!!これは全くもってその通りだ!それでは全て自分の思い通りにならなかったことが不幸せでしょうか?それはちょっとまた違う話になってきます。陽気なお坊さんは更に付け加えて言いました。
「よく神頼みということを耳にしますが、例えば、あなたが帰宅途中にあなたの家の方向から煙が上がっているのを見たとしましょう。どうやら火事のようです。あなたは何を思いますか?」
大抵の人が、いやモーくんもそうです。
「神様〜!!頼むから自分の家が燃えていませんように!!!」
って願いませんか?
お坊さん曰くこれ、どうやら「やってはいけない神頼み」みたいです。
「既に起きている、あるいは起こった事象に対して神頼みしても神様は助けてくれません。それは無意味な行為なのです。」
なるほど!例えば、受験で試験を終えた後に「神様〜どうか私を合格にしてください」などと神頼みしても意味がないということです。
神様は決まったある状況下でのみ救いの手を差し伸べるという話を陽気なお坊さんはしていたのですが、さっぱり忘れてしまいましたwwwすいません。モーくんはそこまで「仏教」に限定して信仰深い訳ではないので、「神」についてどうこう語るのは専門の人に任せます。
モーくんが言いたいのは、先ほど思い通りにならない=不幸せというのは少し違うと書きましたが、以下に自分の考えを書いていきたいと思います。
先ほどの例で、仮に願ったのに自分の家が実際に燃えてしまっていたとしましょう。もしくは受験で希望大学に受からなかったとしましょう。
自分の思い通りにいきませんでしたね。
これって「不幸せ」でしょうか?
モーくんは少し違うと思っています。
おいおい、自分の家が燃えて不幸せに決まってるだろ!いきたかった大学に行けなくて幸せな訳ないじゃない!
こんな声が聞こえてきそうです。もちろん短期的に見れば、思い通りにならなかったそれは「不幸せ」かもしれません。でも長い目で見れば「幸せ」になり得る可能性を秘めていると考えます。なぜか。よくモーくんは親父パパモーくんに何か自分の思い通りにいかないことが起きると、「それはいつか幸せになるために、神様が与えてくれた試練だ。感謝しなさい。」と言われて育ってきました。これ案外あってるような気がします。思い通りにならなかった=不幸せで終わってしまうこともできますが、それを幸せにつなげるためにどうして思い通りにならなかったのかを分析し、次に同じ過ちをしないように努めることこそが一番大事なことではないでしょうか。(これはいつか書こうと思っている「成功と失敗」についてにも深く関係していることです。)
以前モーくんは15万円相当の盗難にあいました。最も信頼していたハウスメイトに裏切られ部屋に鍵をしていなかったために、PS4, Surface Pro 3, IPhone 6, Nixon backpackを持ち逃げされてしまいました。モーくんは何も悪いことをしていません。これはどう考えても思い通りになっていない不幸せです。でもそこから学んだことは計り知れません。アメリカでは日本の常識が通用しないということを身にしみて思い知らされるとともに、念には念を入れよという教訓を学ぶことができました。「一寸先は闇」、いや「一寸内でも闇」なのがアメリカです。いくら信頼していても人間、魔がさすなんてことはよくある話です。もしこの事件が起きていなくて将来に同じようなことが起きたら15万円では済んでなかったでしょう。お金どころか命に関わっていたかもしれません。こうした不幸せから学べる幸せもあるということです。まるで棚からぼたもちですね。
また、人生面白いのが一見「不幸せ」に見えることでもいざその先に進んでみると「幸せ」につながることだって少なくはありません。
例えば!モーくんは東京の大学進学を目指して受験しましたが、結果的に受かったのは滑り止めの関西のみで結局、京都にある京都大学(略)に入学することになりました。生まれも育ちも東京の江戸っ子そしてシティボーイであるモーくんにとって、右も左も分からない初めての関西しかも京都という伝統的な古都、もちろん友達も知り合いも一人もいないという状況下でやっていけるのか正直不安でした。結果、東京から関西に進学する輩は珍しく、モーくんは京都大学(略)で一躍人気者に、一般に言われる「リア充」つまり最高の大学生活を送ったというのはいうまでもありません。このように一見思い通りにいかなかったことでも振り返ってみると思い通りにいかなくてよかった!なんてことがある訳なんですね。あの京都での大学生活があるから今モーくんはここアメリカにいるのは間違いないですし、事実高校時代の友達と会えない分、東京にいたらなかなか出会うことのできない全国各地、特に関西中国九州エリアからの荒くれ者たちと濃密でやりたい放題な時間を過ごし、かけがえのない漢の友情を手に入れることもできました。
これらを思い通りにいかなかったけど、そこから教訓を得ることができた、思い通りにいかなかった思い通りとし「逆不幸せ」と命名したいと思います!逆幸せの方が刺激的で面白いし、ちょっと危ない冒険好きなモーくんにとってはピッタリな考え方です。
ピンチは最大のチャンス。何とかなる。結果オーライ。こういう考え方ってのも言ったら似ているような気がします。
人生はほんの少しの幸せとたくさんの不幸せとそこから生じる逆不幸せの連続だと思います。
「幸せ」は人によってそれぞれです。
あなたにとって「幸せ」とは何でしょうか?
モーくん。
[モーくんの豆知識 Vol. 9]
待って待って!モーくんにとっての「幸せ」は何?っていう声が全米そして全世界から聞こえてきたので、お答えしましょう。モーくんにとっての最大の幸せは!ズバリ!学校や1日の仕事を全て終えてコーラとつまみで見る懐かしの我が少年時代にタイムスリップできる唯一の時間、一日一本「激走戦隊カーレンジャー」の20分間です。
……え?うそうそwいやそれも至福の時間ですが、最近は「人に必要とされること」がモーくんが一番幸せを感じる時ですかね。家族、親戚、友達からはもちろん、仕事仲間から社会から必要とされることで自分の存在意義を確認できます。このブログ「スピーチバルーン」を運営するにあたり、やはり必要とされているかは大事ですし、読んでくれてる人がいるということは幸せこの上ないことです。また愛する人から必要とされることもこの上ない幸せですね。カップルの場合向こうからも必要とされるし、こっちも向こうを必要とする。お互い「愛」を必要とし合い、共有し、またその距離が近い分「幸せ」の形も他とは異なる特殊な形態であると認識しています。モーくんのGFのZiちゃんにはたくさんの愛と幸せを分けてもらって、いつも感謝です!(写真はZiちゃんにもらったバレンタインギフト 😳 )
まさかの「モーくん」を完璧にコピーできる腕前になっていたとは!!!
びっくり!Ziちゃんの恐るべし才能!笑
何か合ったら身近な人にも依頼するのですよ(●)_(●)